カテゴリー
ロスジェネ人生論(仕事探しに迷ったら)

第2次ベビーブーマーが受験戦争をくぐって就職戦線をくぐった先の話

 第2次ベビーブーマーと呼ばれる大集団に属する一人として、史上最悪の受験戦争をくぐり抜け、くぐり抜けたあとで入った大学を卒業するころには、史上最悪の就職戦線に投入されて、大半はくぐり抜けられずに玉砕し、それでも何とかくぐり抜けてようやく社会にもぐり込んだら、時代こそ平成という年号だったけど要するに昭和の最後の旧式軍隊方式が全盛の頃で、もしそんな古い方式に付いていけず脱落して心を病み病院に行く者がいたとしても、そこはほら第2次 ベビーブーマー って数が多いし、第1次 ベビーブーマー もまだ働いているし、需要に対して供給が多いからぜんぜん大丈夫、てな具合で誰も気にしなかった。

僕たちは死ぬほどパワハラを受け、死ぬほどサービス残業をした。が、それは昔からあったフツーの話で、フツーに対して誰も拳を振り上げることはなかった。

 で、マジで玉砕してダイブしたり、実家に引きこもって出てこれなくなる連中が本当に近所に現れ初めてびっくりし、テレビの話じゃないんだ、ヤバイぞこれ、こんなとこで潰れたって誰も気にせんぞって必死でしがみつき続け、働き続け、そのまま年を取り、もはや転職できないくらい年をとった頃には、時代がすっかり変わっていた。

 今や昭和式日本スタイルはアジアの各国で敗れ去り、生産性が低いと馬鹿にされ、ついに昭和は終わった。昭和を信じて輝いていた第1次 ベビーブーマー たちは無事に逃げ切り、21世紀に敗れた国がこの先傾いて行こうが、少子化で滅ぼうが、特に気にしていないみたいで、たんまり貯めたお金で「人生の楽園」を謳歌して長野あたりの田舎で念願だったそばを打ち、奥さんとおしゃれな隠居生活をしている。

 一方、敗戦国の管理職になった第2次 ベビーブーマー たちは「仕事が辛いので朝起きられない」と言う新入社員を相手に、「そうだねぇ、どうすれば君が生き生きと働ける職場づくりができるかねぇ」なんて面談しながら、そうそう常にスマホでこいつらに録音されていることを意識して言葉遣いに気を付けなきゃ、ウン、「若者に寄り添う」を実践しなきゃね、なんて人事で受けたマネジメント講習よろしく生真面目に頑張り続けている。

 大学卒業直後、就職戦線で敗れた連中のかなりの数が、資格試験や公務員試験を受験していた。受験戦争をくぐり抜けた世代の悲しい性(さが)で、勉強して試験で頑張れば必ず報われるんだと皆が同じことを考えたからだ。でも需要と供給というのはこれ以上ないくらい世界のど真ん中の法則だと思う。せっかく教員免許を取っても先生になれない連中がゴマンといたし、公務員なんてどれだけ門戸を閉じていたか分からない。当時、第1次 ベビーブーマー たちはまだ現役だった。椅子は埋まっていた。やたらめったら資格を持っていて英語ペラペラの奴が、工場でアルバイトとして油まみれで作業していたとしても、誰も気にせず、何とも思わず、そして僕たちはそのまま年を取り続けた。

 なので、いよいよ今さら資格を取ろうがスキルアップしようが、もう年齢的にそんな勉強によって今よりお金がたくさんもらえるチャンスは来ないよね、あとは先細りする給料明細を見つめながら、死ぬ直前までバイトでもなんでもして食べていかないとね、という状況になった今では、逆に何かの為ではなく、自分の好きに自分が好きなことを勉強すればよい、という結論に至った。開き直りができるようになったということだ。

 がっつり文系だった僕は、歴史が好きで古典や現代文も好きだったし、趣味の範囲で経済学も会計学も民法も勉強した。外国語の勉強が一番好きだった。

 でも高校時代までは物理も化学も生物も大好きだったのだ。兄貴の影響で(兄貴は分子生物学が専攻だった)理系の勉強は好きだったけど、文系科目ほど得意じゃなかったので、受験科目を決める時に捨てた。今でも時々、書店で見つけた生物学の一般教養書をずっと立ち読みし、そのまま読み切るまで何時間も読み続けることがある。数字で表現される世界はいつも公平で、全てが平等で、ちょっとオカシな人がオカシな理屈をこねて無理強いできる余地がなく、要するにノイズが入らないからとても気持ちがいい。生命の活動も死という現象も、公平で厳然とした数字で表現され、そのプロセスも数字で説明される。

 でもやっぱり、やっていて一番楽しいのは語学の勉強だ。これは不思議。音楽に似ているからかな?学生時代に第二外国語や原典購読で学んだロシア語もスペイン語も初頭文法で終わってしまったし、英語だって大したはことはない。でも外国語を勉強している間はリラックスし、無になれる。写経をしている時とよく似た気分がそこにある。

 なので、休日の午前中は自分の書斎にこもって、特に先々役立てるつもりもない語学の勉強をよくしている。英語だったり中国語だったり、とにかく日本語以外のコトバを学んでいる間は、ウィークデーの仕事中にどっぷり浸かっている日本人相手のナイーブな世界(日本人は本当にナイーブで難しい)から遠く離れた感覚を味わい、一種の現実逃避ができる。語学の勉強はやはり声に出しながらやるのが一番だけど、それは学習効果よりも何より気分がよくなるということ。

大きな声で発音すれば、なんだか遠く離れた場所に飛翔して行くみたいで、そのくせ頭は真っ白、気分は最高。

 役に立てなくてよい。自分の好きに自分の好きな勉強をすればよい。

いまさら頑張ったって役には立たないという諦めは、年齢を重ねたことによる仕打ちではなく、年齢を重ねたことによって得た贈り物である。